‘小野美由紀’ カテゴリーのアーカイブ

世界一周旅行記②アルゼンチン流血事件

2010年4月28日 水曜日

  

世界一周した、と言うと、必ず聞かれる質問が
「危ない目に遭わなかったの?」である。

 

答えはNO。幸いな事に、事件にも事故にも一度も遭っていない。

 

ただし、私の悪運が強すぎるのか、周りの幸運を吸い取っているのか、
私の代わりに、たまたま周りにいた人たちが不幸をかぶる出来事には何度も遭遇した。

 

中でも一番過激だったのは、アルゼンチンでの出来事である。

 

アルゼンチンのブエノスアイレスといえば、南米でも屈指の犯罪都市である。
街並みはヨーロッパ植民地時代の面影を残し、「南米のパリ」と呼ばれるほどに美しいのだが、
気性の荒いアルゼンチン人の性格をまるまる反映してか、治安は一転してすこぶる悪い。
「秩序だけはヨーロッパに置いてきたのか?」と思うほどに混沌とした街なのだ。

 

交通ルールなんて、まるで無いに等しい。
例えばひとたび街に出れば、繁華街のど真ん中で、タクシーに突っ込まれて横倒しになったバスが交差点を塞いでいる。窓ガラスの破片があたり一面に飛び散り、車体の下からは巻き添えになった人の脚が覗いている。事故だというのに、交差点の四方向からは怒りのクラクションが鳴り響き、歩行者は通行を止めようとする警官に怒り狂ってスペイン語で暴言をまくしたてている。まるで、こんな光景は日常茶飯事だから早く通してくれといわんばかりに。

 

また、日本では丸の内に相当する、一流の外資系企業が立ち並ぶビジネス街でも、突然悲鳴が聞こえて振り返ると、身なりの良い紳士が地面に倒れ、鼻血を流しながら「¡Ladrón! (泥棒!)」と叫んでいる。視線の先を追うと、高そうなカバンを抱えて逃げる二人組の男。しかし、遅れをとっていたほうは曲がり角で交通ルールを無視して飛び出してきたバイクに撥ねられてその場で御用になった。

 

・・・こんな風に、日本の治安の良さが夢幻かと思われるほどの、ルール無用の残虐ファイトが日々繰り広げられているブエノスアイレスのど真ん中に1ヶ月滞在していた時の事だ。

 

アルゼンチンといえば、サッカーが有名。せっかく滞在しているのだから一度は観戦しようと思い立ち、
リーグの中でも1、2を争う人気のチーム、ボカ・ジュニオルス対リーベルプレートの試合のチケットを買いに行くことにした。

 

ボカの本拠地であるボカスタジアムは、ブエノス南部のボカ地区にある。

 

港町であるボカは、移民労働者の町であり、ブエノス一の血気盛んな荒くれ者が集っている。
ボカのファンも、負け試合の時には相手チームのファンとの乱闘も辞さないほどの狂犬ぶりで有名である。
なにせ、スタジアムにはライターや刃物はもちろん、ペットボトル入りの飲料(火炎ビンの恐れがあるため)すらも持ち込み禁止なほどだ。

 

当然犯罪率も高い。日本人旅行者がボカ地区に丸腰でチケットを買いに行くなど、危なすぎて普通は止められる。

 

さすがに女子一人で行くのはまずいので、同じ宿に泊まっていた外語大3年のスペイン語を勉強しにアルゼンチンに来たという男の子・Yくんと一緒にスタジアムまで行った。

 

ボカは治安が悪い反面、19世紀の終わりに移住してきた移民たちの文化が混合されて出来た、アーティスティックな街でもある。
昔、貧民たちがお金が無いので船を塗るための余ったペンキでペイントしたという、
赤、青、黄色のカラフルな住宅が立ち並び、非常に美しい。
タンゴ発祥の地でもあるこの街のあちこちからアコーディオンを演奏する音が鳴り響き、歩いているだけでウキウキする。

 

 

dc3f6mmt_182ffj44sd4_b

 

Yくんは旅行経験が乏しいらしく、危険地域に足を踏み入れることに非常にナーバスになっている。
サイフを入れた胸ポケットをおさえ、前かがみでキョロキョロしながら、早歩きで私の前を歩いていた。

反面、美しい町並みにうかれて全く何も考えていない私。

あまりにも気を抜きすぎていて、サイフがわりのポーチを指にひっかけ、ぶんぶん振り回しながら歩いていた。

 

まるで盗ってくれと言わんばかりである。

 

突然、後ろから何人かの足音が鳴り響いた。

てっきり喧嘩かなにかだと思って振り向くと、

ボリビア人移民だと思われる、人相の悪い男3人が、猛ダッシュでこちらに駆け寄ってくる。

獲物を狙うような目つきの、いかにも強盗やってます、みたいな悪人面3兄弟である。

あ、もしやまずい・・・?と思った、その瞬間。

 

男たちは、無防備にポーチをぶらさげている私をすり抜け、前方を歩く男の子に駆け寄ると、

 

おもむろに拳銃を取り出し、

 

グリップの底で男の子の頭を
パッカーン

 

ぶん殴ったのである。
くす玉が割れるような、景気のいい音が鳴り響いた(ように思えた)。
一拍置いて、

 

びゅわー

 

と、いきおいよく血が噴き上がった。

 

赤や青や黄色の、ヴィヴィッドなカラーの家々を背景に、
まるで水芸のごとく、完璧な弧を描いて噴出する真っ赤な血。

あ、きれい・・・。

と言っている場合ではない。

 

救急車!!

 

強盗は男の子の尻ポケットを探っていたが、悲鳴を聞いて人が集まってくると猛ダッシュで去っていった。

 

誰かが警察と救急車を呼んだらしく、あたりは騒然となった。
救急車に乗せられ、運ばれる男の子。でも意外と元気そうである。

 

私はというと、周囲の人に分からないスペイン語で話しかけられまくっている間に、そこに置き去りにされてしまった。

あーあ。。。

結局サッカーのチケットは買えず、しかたなく宿に戻った。

 

夜になって男の子が宿に戻ってきた。6針縫う大怪我だったという。
大怪我の割には、ティッシュを丸めて包帯でぐるぐる巻きにした“おもち”のような塊を
頭にテープでくっつけられただけの簡単な処置で帰ってきた。

財布を盗られたわけでもないのに、とんだ殴られ損である。

「保険は効かないし、警察は何も盗まれてないとわかると事情聴取もおざなりだし、
もうアルゼンチンはウンザリだよ。」と言って、
おととい来たばかりのその子は、次の日すぐにカナダゆきのチケットを買って出ていってしまった。
かわいそうな話である。

なぜ、強盗3人組は、マヌケ面全開で貴重品を振り回していた私ではなく、

前を歩いていた男の子を選んだのか。

 

まったくもって謎である。

 

単に私の運が良すぎるのか、男の子の運が悪すぎたのか、
もしくは私があまりにもお金を持ってなさそうな顔をしていたのか、それとも人徳がありすぎるのか、

理由は分からないが、ともかくこの旅で得た教訓は、

「悪いことは起きるときには起きるし、起こらない時は起こらない」である。

 

受験もまたしかり。心配事があってもあれこれ考えず、来るべき時に備えてゆったり構えよう、
という無理やりなこじつけで、今回は終わる。

次回はウズベキスタンからお送りします(「世界の車窓から」風)。

 

 dc3f6mmt_183gsw9vtd5_b
ブエノスアイレスの夜景。東京のそれと変りない
 
dc3f6mmt_184gjck2wdx_b

アルゼンチン名物といえば、そのへんにいくらでもいるペンギンである。街を歩けばペンギンに当たる。(嘘)

貧乏とベネツィア-世界一周記その①

2009年12月24日 木曜日

はじめまして。道塾PRスタッフの小野美由紀です。

ここでは、私が世界一周一人旅に出た時のエピソードを書いてゆこうと思います。

大学3年のとき、

バイトで稼いだ100万円を預金口座に放り込み、

世界一周の旅に出た。

100万というと、

え?そんな大金!と思う人もいるかもしれないけど、

世界一周するのにはギリギリの額。

“1日1000円で生活する”を目標に、

さっそく最初の国、インドから節約生活が始まった。

image001

※インドの聖地、バラナシ。ガンジス河は人々の生活の場

泊まった最安の宿は140円。

一日2食、現地人と同じ屋台で飯を食べ、

ボロボロのバスに乗って旅する。

物価の安い中央アジア、中東を抜けてアフリカ大陸へ。

それでも、エジプトまではよかったが、

船に乗り、エーゲ海の向こう、ギリシャに渡ったあたりから急に行き詰まった。

ヨーロッパの物価はなんせ、凶暴なまでに高い(当時、167円=1ユーロ)。

スーパーに行っても、買えるのは冷凍のオクラだけ。

入場料の高い観光地は入れないから、

タダで入れる教会とか、庭園ばかり行って、

日がな一日、ボーっとするのが日課になった。

少しでも宿代を節約するために、

24時間営業している空港にわざわざ行って、寝たりした。

それでも、旅が続けば財布はどんどん軽くなり、いよいよ困窮はじめる。

貧乏がもっとも極まったのは、イタリアのヴェネツィアだった。

ヴェネツィアは、中世にヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市。

(世界史の人ならわかるよね?)

ジョジョ5部の舞台にもなった、

街中を運河が網目のように走る、「水の都」だ。

ono2

※ ヴェネツィアの夕暮れ

ちょうど夏の観光シーズン。

街の安宿はすべて、先客で埋め尽くされていた。

高いホテルにはどうやったって泊まれない。

窮して、出した策は、

「ヴェネツィアの鉄道駅で寝ること」だった。

・・・女子なのに・・・。

行ってみると、自分と同じような境遇のバックパッカーがたくさんいて安心した。

それでも1時を過ぎると鉄道駅は閉まる。

駅のシャッターが下ろされると、

大勢のバックパッカーが一様に、駅の前に横一列に並んで寝始めた。

まるで漁港でおろされたマグロ状態。

しかたがないので、隣のバックパッカーにダンボールをもらってその上に寝た。

夏とは言え、夜は肌寒いし、 周りがうるさいので眠れない。

日が昇るまで、する事が無いので、

一人でヴェネツィアの街をひたすら、歩き回ることにした。

寝静まる街は真っ暗で、

人っ子一人いない。

物音もしない。

本当の孤独。 お腹は死ぬほど空いていて、

いよいよ寒さ、寂しさが煽られる。

なんで私、なんの役にも立たないのに、

こんな無意味で辛い経験してるんだろう?

街を走る運河を、桟橋の上から見つめた。

真っ黒な水面に、

街灯の白い光が反射する。

狭い水路で溢れかえった光が、波に合わせてギラギラと、

魚の横腹のようななまめかしさで暴れ回った。

川面を眺めていると、

溢れる光の渦が、網膜から吸収されて、

体の内側でまばゆく輝くような、

不思議な高揚感を覚えた。

張り巡らされた光の運河が、

毛細血管のように街中を覆い、

ヴェネツィアの街全体が、

まるで光の胎児のような不思議な生命力を持って、

とくとくと鼓動を打ちながら、光を放っていた。

ヴェネツィアに来た人間の95%はおそらく

こんな景色を見ることはないだろう。

じゃあ、

今、この瞬間に、この光景を見ることのできた自分は、

ひょっとしたら

すごい

「大丈夫」

なんじゃないか、

という思いが、

なぜか沸いてきた。

「あると思います!」。

自分で自分にそう言い聞かせたくなる感じ。

全然、根拠も何もないのに、

ものすごい貧乏で、

行き詰ってるのに、

なぜか自分で自分を肯定していた。

こんな経験を積みながら旅するうち、

だんだん芯からしぶとくなっていった。

旅が終わるころには、ちょっとのことでは動じない人間になっていた。

この旅で学んだこと、それは

「苦しい体験は、大きな力を出すためのエネルギーに転化することができる」

ということ。

困窮して、極まった状態を逆転させて生きる糧にする、そんな考え方。

それは受験も一緒だと思う。

受験勉強、つらくて、苦しくて、思い悩む人も多いだろう。

偏差値は思うように上がらず、

あともう少しでセンター試験、という、あの切羽詰った感じ。

自分の今の実力で、果たして受かるかどうか、という、

あの喉をカラカラにするような不安に毎日襲われている人もいるかと思う。

でもその苦しみは、必ず

今後跳躍するためのエネルギーの「溜め」として

自分の中に保存されるはずだ。

受験勉強がもたらす効果は、決して知識の集積だけではない。

行き詰まる経験の中で、それでも辛さに耐え続けていれば、

「ちょっ」との転換装置で、苦しさをそのまま爆発的な力に変えることができる、

そんな心の筋力を身につけることができる。

苦しい経験を、エネルギーに転換する、

合気道のように、

外から来た圧力に負けず、するりとそれを自分の力に転換してしまう、

そんなしなやかな筋力を、今、苦しい中で鍛えておければ、無敵だと思う。

それが、受験勉強のひとつの効力なんだと思う。

行き詰るだけ、行き詰ればいい。

苦しんだだけ、

その経験はあなたの生きるための筋力になるから。

1cytr40z28tzu

※スペインの山頂、標高2300mからの日の出。

小野美由紀